AIコンサルタント業務(ITとAIの相談会)
年末となりましたが、本日の午前中、AIや機械学習を、企業活動で活用するための相談会を実施しました。
要点
1)会社の売り上げや、従業員数の数字をAIにいれ、予想などをしたとして、アテになると思いますか?
という例をあげました。
企業の経営者や役職者にとって、AIが意味のある、なしについて、「実感」をもてるように、説明しました。
2)予測すべきものはなんなのか、計測すべきものはなんなのか、コントロールできるものはなんなのか。 ・・いくつか例をあげてみました。
数値データの列(数列)が、不規則な「粒子運動」のような領域があったり、予測可能な周期的・大域的に微分可能な「波動」のような領域、があることを示しました。数列を信号+ノイズ=S/N和のようにとらえることもできます。有意な信号も複数、外乱ノイズも複数あり、乗算加算などされて1系列のデータをつくっているのでしょう。
3)観測や予知と未来について
シュレディンガーの猫のように、観測行為自体で、確率的なものが現実意識にあがることで現実として決定されて、未来が変わります。それが思わぬ方向に変わるのではなく、より良い未来に変えていくことにつながる仕組みをつくることが意思(意思決定システム)であることを示しました。
常にoutputをみてinputを修正する、ということは、従来技術でもすでに電子制御やフィードバック制御理論、デジタルサーボ理論などの元になっています。
これらは通常「想定する制御モデル(数学モデル、物理モデル)」の存在があり、それは、システム内部ではかなり強権的なものになっていますので、文字通り想定と現実の歯車が狂えば適用できない、想定外は修正不能=制御不能になりえます。
「思う未来」というのは常に先にあり、過去の意思も未来にあわせて変えていくことです、
「おもってたんとちがう」のは=結果のことではなく、過去に「おもってたこと」が、「違った」のです。
AIや機械学習では「過学習」といわれる現象もあります。
過去の学習の権威や報酬が強すぎたため、新しいものに対応できない硬直した現象をいいます。
彼女のことを好きになりすぎて・・他がみえない、何もできない・・状態にも似てますね。
4)盤石と思っていたいろいろな大きなシステムが、ある日、大きく変わり「え」ます・・
それは、コンピューターシステムだけでなく、大規模な人の組織、エコシステムも同様です。
なぜ、変わるのでしょうか?
人がもっている知識や記憶、技能は、人が変わると維持ができなくなります。
秘密にしていたこと、
リスクや人の技能を過少評価してきたこと、
ごまかしてきたこと、
外注などに安く依頼したこと、
で成長をしてしまうと、ある日突然、成長どころではなくなり、現状維持や生命維持さえも不可能になります。
例として)
古いPCを長期間メンテナンスもしないで、HDDにデータを放り込んでいたりしません?
外注さんや若い社員さんを使い捨てで安くつかい、いろんな無理を言って、利益をあげていません?
失敗は若い人や下の役職のせいにして、他の成功は自分の成果にしてません?
たしかにたしかに、立場を使って、リスクと成果をつけかえて大きな利益をあげている人、企業・団体・組織も、たくさんあります。
しかし、咲和惟でのAI的な予測視点では時間の経過とともに、付け替え法による成長システムを採用していると、確率的(時間の指数級数的)にだんだんと少なくなるのでしょう。文字通り「時間の問題」です。
企業経営や人や業績を管理をするみなさんにとって、「感覚的」に分かり、すぐこうしたいというところを示しました。
まとめ
AIは説明ができない、と言う人が時々います。(学習の重みづけにすぎないので)
しかし、どういうAIが必要か、を人が、先づ明らかにすればそれでいいのです。
(AIで出来ること、AIが得意なことをAIにさせることで、)個々の人のどの能力や希望や意思を最大化・最速化・最単純化できるか、というところにあるのです。
個々の人間の能力拡張こそが「本当の目的」と気が付けば、個々の人、企業によりAIに求めることはかなり違ってきます。
これは、アナログとデジタルの議論でもあったのではないでしょうか。
職人と機械化、自動化の議論でもあったのではないでしょうか。
「AIはいいか(悪いか)」「使えるか(つかえないか)」、ということではないです。
自分には自分の解を、わが社にはわが社の解を出すことです。AIはそういうことが得意(特異)です。
自分の解とはなんなのか、それぞれが生まれ、存在している理由にも、個性やキャラクターにも、そして、仕事にも、すべての人の心に深く鋭く、影響をあたえています。
AIと人の意思決定や分担は、みなみなそれぞれ、個々の環境で、最も燃焼効率の高い混合比を常に見つけ、アップデートしていくことでになるでしょう。
最後に
書ききれませんが、楽しい時間でした。ありがとうございました。